かつてイラク・イラン戦争やイラン革命以前のオイルマネー特需による開発プロジェクトに多くの日本の建設会社が中東に進出して大損害を蒙ったケースが目立った。そして、現在も多くの日本の会社が海外に進出しているが、各地で苦戦を強いられている。その原因は、リーマンショックに代表される米国金融危機などの影響が大きいが、根本原因の根は深く、日本の建設会社は海外で堂々と戦っていく実力があるのかと疑わざる得ない問題を多く抱えています。
製造業は、当初国内市場が小さかったために、会社の生き残りをかけていち早く海外市場に進出し、海外市場で高い評価が得られるようになりました。海外の市場を調査し、海外スペックを取り入れ、契約社会にも順応していったからこそ、海外メーカーと互角に戦えたのだと思います。製造業でも国内市場が大きく、国内のメーカー同士で競争している業界、例えば携帯電話やパソコンメーカーなどは、国内市場に甘んじていたために、もはや海外で戦える力を備えていません。
同じように建設業も、国内市場で政府と建設会社の蜜月な関係を築き、政府主導の公共事業のパイを分け合って成長してきた。そこには、国際的な契約社会では考えられないような阿吽の呼吸が存在し、海外市場に本格的に取り組むことはなかった。
一方、欧州は近年に経済体制が劇的に変化した。EU諸国は、国境が取り払われ自由に経済活動ができるようになるとともに、政府は公共事業の執行に際しても自国以外の企業に開放した。そのため、建設会社も自国以外で活動することができるように体質を変えていった。隣の韓国は、自国の市場が小さいために活動の範囲を海外に置くようになり、今では日本を凌いでいる。
まず、日本の建設会社のハンディキャップとしてあげられるのが英語力です。しかし、これはコミュニケーションの一つの手段であり、お互いに理解し合う意思があればなんとか克服できます。しかし、日本語文書を英語に訳したりする手間は、余分な労力を強いられハンディには違いありません。
しかし、技術者として専門技術力がないと発注者やレジデント・エンジニアやセーフティ・エンジニアと対等に議論することができません。日本人技術者は大学卒業以来、技術力を切磋琢磨することよりも段取り師として下請けのケツを追い回すことに力を入れて会社で過ごしてきた。その結果専門的知識どころか基礎知識も保持していない技術者が多くなった。工事を下請けに外注することにより、技術者の「技術の空洞化」とが進んでいます。
さらに、日本の公共事業が契約に忠実に行われることがなく、契約とは関係なく受注業者無理を強いるような、国際契約約款とは程遠い環境に慣らされてきた。このような習慣が染み付いた技術者が欧米の契約社会になかなか追従することができないでいる。
日本人建設技術者は、特に安全衛生(OH&S)、環境(E)、品質(QC)、契約管理(QS)が苦手である。労働安全コンサルタントは、欧米のセーフティ・エンジニアと遜色ない安全衛生の知識を持っているがシステマチックなマネジメント力や契約に基づいた安全管理、レターのやり取りなどに慣れていないため、なかなかリーダーシップをとることができない。
日本の労働安全衛生コンサルタントを欧米と対等に渡り合えるように、国際水準の安全管理を目指して全世界に情報は発信をしていきたい。そのためにはCPDを活用した資格登録の更新制や海外諸国の資格との相互承認が必要であろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿