2011年6月29日水曜日

回復不可能な目の負傷


災害で負傷し、足を切断することになっても義足をつければ歩行が可能になる。歯が欠ければ入れ歯や差し歯などで機能を回復することができる。

しかし、目を負傷して失明した場合、今の医学では視力を回復することができない。
欧米の安全管理では、個人用保護具(PPE)のなかで保護めがねはヘルメットと同様に基本中の基本と指導される。

日本でも、建設現場でヘルメットを着用するのは常識となっている。しかし、保護めがねについては化学プラントや発電所、製鉄所などをを除き、あまり普及していない。

建設現場でも目を負傷するリスクが多く潜在している。
  −コンクリートの手はつり作業でノミが跳ね返り目を負傷する
  −グラインダーなどで切削加工中、切粉が目に入り負傷する
  −切断作業中の鋼材の鉄粉が目に入り失明する
  −地盤改良プラントで使用する希硫酸が目に入り負傷する
  −プラント配管の残留薬液が目に入り負傷する
  −溶融アスファルトが跳ね返り目に入り火傷する
  −釘打ち機の釘が目に刺さる
  −アーク溶接の紫外線により網膜を損傷する
  −レーザー光線が目に入り内部がやけどする

作業と危険源によっては、保護めがね、防塵ゴーグル、ファイスシェード、アーク溶接用遮光面を使い分ける必要がある。保護めがねは、ヘルメットともに重要なPPEである。

2011年6月22日水曜日

「想定外」は技術者の禁句

東日本大震災で東京電力は当社「想定外」の地震や津波による災害ということを連発していた。

なにか言い訳のように聞こえてならない。自分たちには責任がなく不可抗力と主張しているのであろうか。

政治家や大会社の経営者には往々にしてこのような言葉が発せられるが、技術者は決して「想定外」と言って自分の業績に対して言い訳をしてはならない。もし、他人から間違いを指摘されれば謙虚に見直しを行うことが重要である。

しかし、なぜ安易に「想定外」などと言うのだろうか。
通常、技術検討段階では必ずあらゆることを想定している。設定発生確率の範囲で設計を進めるが、設定発生確率を越えた超過確率の事象は、全く無視するということはない。超過確率の場合においても、何らかの事象を想定している。

検討段階ではリスクが設定確率範囲に入っていたものが、費用が大幅に膨らむために事象発生の可能性が低いものや不確実なものは除外され、超過確率の事象は無視するようになってしまったのであろう。また、企業はどうしても悪い事象発生の可能性を低く見積もりがちである。今回はそれをチェックする機能が上手くは働かなかった。経済産業省の天下り官僚を大量に抱える東京電力と、政府からの研究費を獲得するためにどうしても政府よりにならざる得ない御用学者による原子力安全委員会では、技術の監視機構も働かないのではないだろうか。

また、無責任な「想定外」発言とともに、「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」という言葉も正確なようで実はそうではない。放射線被曝は積算量により晩発性障害の可能性があり、そのことにわざと触れなかったので余計に人々に不安が広がった。

リスクを説明するときは、最悪のリスクも含め説明し、「想定外」等と言い訳は慎まなければならない。

2011年6月15日水曜日

東日本大震災から3ヶ月

東日本大震災から3ヶ月が経ち、各地でいろんな行事が行われている。そのなかでも新宿東口で脱原発の大集会が開かれていることからも、今までの災害とは全く違う放射線被害が人々に大きな影響を与えている。

3ヶ月を振り返ってまず感じるのは、政府の復興の方針がなかなか決まらず被災者が希望を見いだせないでいること、生活自立の目処が立たないこと、放射線汚染の脅威が経済復興や生活再建の障害になっていることなどが挙げられ、阪神大震災のときのように限られた範囲に集中的に復興するというロードマップが描けないことが大きく異なっている。

東北は産業基盤が集積されていなかったところに、沿岸部の産業基盤が破壊されたために失業した被災者が多く出ている。復興を考える上で、社会基盤をどう整備するかということも重要なことであるが、まず最初に雇用を確保する政策をとることが重要ではないかと思う。いくら防波堤ができても、橋が架かっても収入源がなければ生活はできない。民間努力だけでは新規雇用は到底難しく、政府主導による新規雇用を創造する必要がある。厚生労働省も災害復旧工事の安全確保を指導するのは必要であるが、それ以上に雇用確保に本腰を入れるべきである。政府役人には全く当事者意識がなく危機感もない。

そこで、国の資金で復興を行う公社や特殊会社を設立し、どんどん被災者を雇用していくのも一つの方策と思われる。社会資本整備、エネルギー供給、漁業加工、物流、情報発信、教育、老人介護など東京の大手資本に任せるのではなく、時間をかけてでも地元の組織で、地元の人たちで復興していくというのがよいと考える。復興に絡んだ利権獲得競争が政治家や省庁間、大手民間業者間で繰り広げられているが、利益はあくまでも地元に還元され、それが雇用につながって生活自立に繋がっていくべきである。

このような考え方は、官僚の猛反発に遭うことは間違いない。でもそれを変えない限り日本の未来はないであろう。

2011年6月8日水曜日

台船に搭載する移動式クレーンの安定

海上で使用するクレーンには、数々の種類があり、移動式クレーンを乗せ変えたりする場合は、製造許可や変更検査が必要になる。

まず海上で使用するクレーンには、(1)浮きクレーン(起重機船)、(2)「浮きクレーンのように使う」ケース、(3)通常の陸上クレーンと同じケースおよび(4)船舶に装備されてクレーンがある。

よく平台船にクローラクレーンを搭載して作業を行っている場合があるが、それぞれ法的手続きを取る必要がある。(1)〜(3)は労働安全衛生法ならびクレーン則に規定されており、移動式クレーンに該当する。

(1) 浮きクレーンはクレーン部分が台船(台車部分)と一体として製造されており、浮きクレーン製造許可、設置届の手続きが必要になる。また、浮きクレーンの安定度は、移動式クレーン構造規格第15条に規定されており、後方安定、前方安定によらず、静穏な水面で定格荷重を吊った状態において、転倒端における乾舷が0.3m以上となることが要求されている。
また、日本海上起重機船協会ではさらに細かく台船の傾斜角の制限値を作業船設計基準「第4編港湾工事用起重機船」の項目で規定している。
非自航起重機船作業時の船体傾斜角の許容範囲は次のとおりとすることが望ましいとされています。
  1) 縦傾斜角(トリム角)
   ・荷重吊り上げ直前(船尾に)  3°
   ・荷重吊り上げ時(船首に)  3°
  2) 横傾斜角(ヒール角)
  ・荷重吊り上げ直前(反対側に)  3°
  ・荷重吊り上げ時(荷重側に)  3°

(2) 現に検査証の交付を受けて使用中のクローラクレーンを台船に搭載し、アンカーを使ってこれを固定し、機能的には浮きクレーンと等しく使用する場合は、昭54.1.26基収894号の例が示されている。台船に搭載したクローラクレーンを再び陸上に戻して使用するものについては、クレーン等安全規則第85条第1項による「台車の変更届(変更検査)」を要する。移動式クレーンの搭載に際し、移動式クレーンの滑り止めを施すことおよび浮きクレーンの規定である転倒端における乾舷が0.3m以上となることが必要である。
また、クローラクレーンを半永久的に台船に固定した状態で使用する場合は、クレーン等安全規則による浮きクレーンとして使用検査が必要になる。(昭54.1.26基発894号)
なお、変更検査には(1)の場合と同様に台船の安定計算書が必要である。

(3)のケースはSEPに搭載したクローラクレーンや巨大な4000t吊り起重機船などに搭載されているラフタレーンクレーンのケースです。台船部分が搭載した移動式クレーンの作業により傾斜することがないようなケースで、陸上の移動式クレーンと変わらない。

(4) 揚錨船本体は船舶法の対象であるが、揚錨船に設置されているクレーンはジブを有し、本来の使用目的以外の用途(荷を吊り上げ運搬する)に供されることが多く、浮きクレーンとしての製造許可、設置届等の手続きが必要である。

海外で移動式クレーンを台船に搭載して使用する場合は、日本と同じような許認可が必要でないケースがあるが、それぞれの場合の設計基準の趣旨を理解しないで使用すると危険である。
移動式クレーンを台船に固定して使用すると、台船の復元力が大きいので転倒しにくくなる。しかし、無理して荷重をかけると逆にクレーン本体の強度が耐えられなくなり、ブームが折れ曲がる危険性があります。常に浮きクレーンとしての作業限界を理解しておく必要があります。

2011年6月1日水曜日

生肉のリスク管理

富山を中心とした焼肉レストランチェーンで生肉であるユッケを食べて、病原性大腸菌であるO111により4名の方が亡くなった。

大腸菌は、人間をはじめとする動物の腸内にいる常在菌で、約180種類いる。人の腸内に常在する大腸菌は、植物繊維の消化を助け、ビタミンKを作り出すなど、人と共生してきた善玉菌である。ところが、牛とって共生関係にある大腸菌が、人とも共生できるとは限らない。特に腸管出血性大腸菌O111やO157は、牛には問題がなくても、人間には食中毒を起こし病原性を生じる。これらの大腸菌は、腸内で赤痢菌と同様のシガ毒素を出し、下痢や脳症など重い中毒症状を起こす。また、EUでは、生野菜に付着したO104による多数の死者が発生している。

日本では、以前から何度も中毒事件が起きていたにもかかわらず、行政も卸売業者、レストラン双方がなんら改善してこなかったことに問題がある。
「生食用食肉の衛生基準」(1998年9月11日生活衛生局長通達)により生食用食肉の規格や衛生管理について定め、これに沿った食肉に限り「生食用」と表示することとしている。しかし、この基準はほとんど遵守されず、行政も放置していた。なぜ、行政は国民の健康を第一に考えないのだろうか。生肉を食べることによる危険性があるのなら、確実に安全性を確保しなければならないはずなのに、業者の営業の負担を避けることに重点が置かれ、何かことが起こっても人ごとのような対応である。まるで、当事者意識が欠如しているとしか言いようがない。

韓国でも日本と同じようにユッケを食べているが、行政機関による抜き打ち検査や違反業者名のインターネット公開が行われており、行政の責任意識は日本の厚生労働省よりしっかりしているように思われる。餃子事件で中国に対する批判が集まったが、日本の食の安全もそんなに信頼できるとは言いがたい。厚生労働省の職務範囲が大きすぎるのも当事者意識の欠如の原因になっていると思われる。

「食の安全」は消費者庁に統合し、「労働安全衛生」は分離して、米国や英国のような労働安全衛生庁に改編して専任職として独立するのも一案である。利権を持つ巨大な組織では、現場から遠くなり、現場と密接したリスク管理は無理である。今回の、食中毒事件も現場の動きを的確に掴めなかった組織の問題ではないであろうか。